このブログで再三、言及してきた北杜夫さんが亡くなられました。ご冥福をお祈りいたします。しかし、なんというタイミングだろう・・・。
戯曲執筆の続きです。
4月、5月と戯曲の執筆は停滞期に入りましたが、本は読み続けていました。
『サンパウロ市民』はめどが付いてきたので、主には『ソウル市民1939・恋愛二重奏』に関する資料です。
2010年の夏くらいから、1930年代を描いた通史的なものは20冊くらい読んで、もう暗澹たる気持ちになりました。政争に明け暮れる政治家、硬直した官僚主義、縦割りの軍部、発行部数を競って危機を煽り立てるマスコミ、それらが日本を破滅の道へと駆り立てていきます。しかし、それは私たちが結末を知っているから言えることで、当事者たちは、英雄気取りで、あるいは国を憂いて奔走します。部分最適だけが優先され、全体最適が損なわれていく。
前にも記した通り、39年についてのみのまとまった記述というのはほとんどないので、ここでも関連したものを手当たり次第に読んでいくことになります。ノモンハンの書籍から始まって、ほとんど個人的な興味でモンゴル関係の書籍へ、司馬遼太郎さんや開高健さんのモンゴル紀行も読み返しました。そのつながりで、開高健さんの南米紀行も読み返しました。
意外なところで連想がつながるもので、『サンパウロ市民』の最後の方に『裸の王様』という台詞が出て来るのですが、これは開高健さんの小説からのイメージでした。そして、それはもしかすると、地球の裏側で、裸の王様として君臨していた朝鮮総督府からの重複する連想であったかもしれません。
以下の「虚構の皇国」というサイトも、とても参考にしました。
http://d.hatena.ne.jp/tadanorih/
このサイトをやっている、早川タダノリさんの
「神国日本のトンデモ決戦生活―広告チラシや雑誌は戦争にどれだけ奉仕したか 」という本も買いました。
それとあわせて、実は、いわゆるネット右翼系のサイトや嫌韓流と呼ばれる言説がなにより参考になりました。
あるいは、震災後に流れた様々なデマも。そして、フジテレビに対する抗議活動や、花王に対する不買運動も。
『ソウル市民1939・恋愛二重奏』には、そのような言説をほぼ直接引用した部分がたくさんあります。そして、それは、驚くほどしっくり、ぴったりと来る。もう、何も考えないでも、そのまま使える。
以下のような本も買いました。
「歴史再検証 日韓併合―韓民族を救った「日帝36年」の真実 」(祥伝社黄金文庫) 崔 基鎬
「ほんとうは『日韓併合』が韓国を救った!」 松木國俊
「朝鮮半島を救った日韓併合―いつまで彼らは“被害者”を続けるのか 」(徳間文庫)
黄 文雄
「生活者の日本統治時代―なぜ「よき関係」のあったことを語らないのか 」呉 善花
題名からして、それぞれすごいですね。
昔、文学座に『月がとっても蒼いから』を書き下ろす際に、半年くらい「トンデモ本」を読み続けて、頭がくらくらしたときのことを思い出しました。
1938年から植民地支配下の朝鮮半島で、朝鮮人を対象にした志願兵制度が始まりました。38年は7倍、39年は20倍の倍率がありました。
日本の植民地支配を、どうにかして肯定しようとする人びとは、このことをもってして、当時の朝鮮民族も戦争に協力的であった、強制ではなかったと言います。
また一方で、旧来型の左翼陣営は、すべての兵役や徴用は、無理矢理の強制連行であったかのように喧伝します。
私は、やはり、どちらの主張にも無理があると思います。
1939年、朝鮮人志願兵制度に20倍の応募があった・・・だから、植民地支配は哀しい。
ということを記述していくのが作家の仕事なのではないかと、私はいつも考えています。
歴史学者や政治学者は、様々な角度から植民地支配の実態を分析します。それはとても貴重な作業ですが、私たちの仕事は別のところにあります。
・・・だから哀しい・・・という、この「だから」を書くのが、劇作家の仕事だと私は考えます。
右からは売国奴と脅迫され、左からは不謹慎だと罵られる、そんな作品を書きたいと、いつも私は願っています。
トンデモ本の類を吐き気がするほど読みこんでから、この覚悟を再確認して、新作二本の執筆は再加速しました。










